
「雪舟庭園」の名が掲げられた木門をくぐれば、そこは静寂の別世界。東福寺の塔頭・芬陀院の正門。観光地の喧騒からほんの一歩離れるだけで、庭師の心が息づく静かな時間が流れ始めます。門の奥には、まっすぐな石畳と手入れの行き届いた植栽。控えめながらも凛とした佇まいが、訪れる者をやさしく迎え入れてくれます。「ここはきっと、ゆっくり庭と向き合える場所だな」と思わせてくれる、そんな入り口です。

手水鉢(ちょうずばち)のしつらえが、静けさと気配りを語る一枚。
苔むした自然石にくり抜かれた手水鉢。竹で組まれた柄杓(ひしゃく)と、上からそっと水を落とす筧(かけい)が添えられ、まわりにはササと椿が控えめに彩りを添えています。竹の筧には水が一滴、今にも落ちそうで落ちない――この「間(ま)」が、何とも言えんわけです。
この写真だけでも、その場の空気の澄み方が伝わってきます。訪れた人が身を清め、心も整えるための場所。そんな“おもてなしの心”が、何気ない小さな演出の中に込められてるのが見て取れます。
そして、こういうのがあるってことは、庭を単に「見る」だけの場じゃなく、「感じて整える」空間として設計されている証拠。庭屋の手が、隅々まで行き届いちょりますな。

苔と白砂が織りなす、雪舟寺方丈庭園の静寂美。
白砂の流れるような線が、まるで水のうねりを描いているように感じられます。その先に広がる苔の絨毯と、据えられた石組み。これはただの景色じゃなく、時間と心が染み込んだ“場”です。
石の配置にも、苔の育ち具合にも、どこか余白があって、見る人それぞれの心に語りかけてくるもんがあります。
「この石は何を表してるんだろか」なんて、自然と想像がふくらんでくるのも、この庭の懐の深さじゃなかろうかと。
手を加えすぎず、でも手抜きは一切ない――そんな庭師の仕事が、静かに沁みてきます。
この庭に座って風を感じるだけで、心のほころびがすーっと溶けていくような、そんな感覚になりますよ。

障子が切り取る、そっと触れる景色
丸窓のように開いた障子の隙間から見える庭は、まるで別世界。
静かに敷き詰められた苔の絨毯、丁寧に刈り込まれた植栽、雨樋に下がる鎖樋――
一つひとつが整っていて、それでいて押し付けがましくない。自然と調和しながらも、どこか神聖な気配をまとっています。
庭を全体で見せるんじゃなく、「この一角だけを切り取って魅せる」…この技は、なかなかできるもんじゃありません。
ここでふっと立ち止まったら、時間の流れまでゆっくりになるような気がします。
雪舟院をもっと知りたい方はyoutube動画でどうぞ。
コメント