興臨院は、京都市北区紫野の大徳寺境内にある臨済宗大徳寺派の塔頭寺院です。大永年間(1521〜1528年)に能登国の守護大名・畠山義総が創建し、自身の法名「興臨院殿伝翁徳胤大居士」から寺号が名付けられました。その後、畠山家の衰退とともに荒廃しましたが、天正9年(1581年)に加賀藩主・前田利家によって修復され、以後は前田家の菩提寺として庇護を受けました。

門前の風景を感じて
そっと開かれた興臨院の山門の奥に、しんと静まりかえった庭風景が広がる。
整えられた石畳、その両脇にたたずむ松や低木の姿が、まるで風の声に耳を澄ますかのように静かだ。
苔の緑が足元にやわらかく広がり、木々の枝先にはまだ春の気配が宿る前の、凛とした余白がある。
門をくぐった瞬間に、俗世の音がふっと遠ざかり、ただ「今ここ」に立ち止まる。
この門前には、季節の移ろいと人の気配が溶け合う、そんな時間が流れている。

門をくぐると、この参道が続く
興臨院の山門を一歩くぐると、そこにはまっすぐにのびる石畳の参道。
苔むした庭の中を、丁寧に敷かれたこの道が、訪れる者の心を整えてくれるように感じます。
竹垣に守られた左右の庭は、派手さを抑えた慎ましやかな美しさ。
足元から静けさが染み込み、自然と呼吸も深くなる――そんな道のりです。

静けさを映す白砂の世界
ここは興臨院の枯山水庭園。
白砂に丁寧に描かれた波紋と、据えられた石々の構成が、静かに語りかけてきます。
余白の美、そして無の中に漂う豊かさ。
まるで自分の心の奥を映してくれるような、不思議な安心感があります。
派手さはないけれど、時が止まったようなこの空間に、禅の精神が息づいています。

蓬莱の理想郷を映した、静寂の石組
興臨院の枯山水庭園は、蓬莱山信仰に基づく神仙思想を表現したもの。
海原を象徴する白砂に浮かぶ島々には、仙人が住まう理想郷「蓬莱」の情景が託されています。
中央の三尊石は、蓬莱・方丈・瀛洲という神仙の三山を表しているとも言われ、
その配置と立ち姿には、時を超えてなお崩れぬ美と力強さが宿っています。
作庭は名匠・中根金作によるもの。昭和の名作庭家として知られる彼の手によって、
禅の精神と日本の美意識が見事に融合された空間が生み出されています。
苔の柔らかさと石の静けさが織りなす景は、
ただの庭ではなく、思想が息づく「祈りの場」であり、心を整えるための聖域なのです。

含蓄と品格を宿す、涵虚亭の茶庭
静かな小径を進むと現れるのが、興臨院の茶室「涵虚亭」。「涵虚」とは“虚を涵(うるお)す”という意味を持ち、空っぽの心に静けさが沁みわたるような、まさに禅の境地を象徴する空間です。
その茶室へと至る前庭には、丁寧に組まれた四つ目垣と網代門が据えられ、庭と建物をやわらかに区切る「結界」の役目を果たしています。竹の質感と苔のやわらかさ、そして飛び石のリズムが、一歩ごとに気持ちを整え、茶の湯の精神へと誘ってくれます。
この茶庭は単なる風景ではなく、**“にじり口に向かう心を静めるための装置”**とも言える存在。日常を離れ、無の境地へと向かうための道が、ここには確かに用意されています。

茶の湯へと誘う、せせらぎのある茶庭
興臨院の茶庭には、静かに水音を奏でる小川が流れています。
そのせせらぎは、自然の中に身をゆだねるような安心感をもたらし、
茶室「涵虚亭(かんきょてい)」へと向かう心を、やさしく整えてくれます。
水辺に沿って配置された飛び石は、草庵の露地庭の典型的な構成。
苔むした地面にそっと浮かぶように据えられた石たちは、
訪れる人の歩みを導きながらも、自然と一体になる感覚を呼び覚まします。
また、流れの周囲にはヤブコウジやツワブキ、リュウノヒゲなど、
控えめでありながら趣のある植物が植えられ、四季折々の表情を見せてくれます。
これは“わび・さび”の世界を体現した、まさに茶の湯のための庭です。
実際の風景と音、そして視点の動きによって、写真では伝えきれない”間”や”呼吸”の美しさを丁寧に映し出しています。
🔗 ぜひ動画で、その世界をご体感ください。
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